2012年のロンドン五輪で、ロサンゼルス五輪以来実に、
28年ぶりの銅メダルを獲得した、女子日本代表バレーボールチーム。
一時期の低迷を乗り越え、再びメダルを獲得したその姿に、
多くの国民が感動し喝采を送った。
これまでの監督、コーチスタッフ、選手達の努力が実ったわけだが、
ここからもう一歩、二歩進める日は来るのだろうか。
1964年の東京五輪で金メダルを獲得し、”東洋の魔女” と呼ばれて以来、
80年代後半まで女子バレーボールは常に世界のトップグループにあった。
日本代表の名セッターとして活躍し、
現在Vリーグ久光製薬スプリングスの監督を務める、
中田久美がかつて語っていたことがある。
「昔は代表12人全員が金メダルだけを目標にしていた。
それがいつの間にか、代表に入れて満足している、
試合に出れて満足している選手が増え、
本気でメダルそれも金メダルを目指す選手は、
ほんの一握りになってしまった」
ロンドン五輪で28年ぶりの銅メダルを獲得できた直接の背景は、
世界最先端の技術を持つ情報アナリストを揃え、
試合前だけでなく試合中にも分析結果を活用できたこと、
そしてそれを実行できる選手達がいたことである。
情報戦を大切にしたことは、サーブ力の向上に繋がり、
その成果は準々決勝での中国戦、
第5セットの勝負どころで如何なく発揮された。
体格差で劣る部分をデータで補い、
再びメダルに返り咲いたことは、まことに素晴らしい。
しかしここからは、メンタルの部分が、
特に重要になってくるのではないだろうか。
「本気で金メダルを獲るために」 データを駆使し強い意志で実行する、
新しい、『東洋の魔女』 の姿を願ってやまない。
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青田買いともいうべき各種の強化は果たして有効か?
日本バレーボール協会は、毎年全国の中学生を対象に、
男女それぞれ50名の、『長身選手発掘育成合宿』 を行っている。
バレーボール選手として身体的に恵まれている、
将来の強い全日本を担う選手の発掘と、合宿を通じて、
全日本の将来を担う誇りと責任を自覚させ、
国際的に通用する、アスリートとしての基礎育成を図ることが目的だ。
2020東京五輪が決まり、自国開催の代表選手を目指す年代にとっては、
大変有意義な合宿といえる。
少子化の中、2020東京五輪でメダルを目指す競技に関わる人達にとって、
能力の高い人材の獲得競争は、熾烈を極めている。
幼い頃から将来を嘱望され、日本の未来を担う人材として、
誇りと責任を自覚し高いレベルで競技に関わることは、
素晴らしいことだとは思う。
しかし、スポーツの能力だけではなく、
人格的形成も怠ることのないよう、十分注意を払ってもらいたい。
他競技ではあるが、近年金メダリストのセクハラ問題が起きた。
また、高校バレーにおける体罰やセクハラの問題も、
依然として横たわっている。
名門校に越境入学して使い捨てられ、中途退学に追い込まれているのは、
何も高校野球の世界だけではない。
スポーツだけの狭い世界だけでなく、これらの強化策が選手本人にとって、
真に人間的成長を促す場として発展していくことを切に望む。
迷走する男子バレーに未来はあるか?
2014年2月、日本男子バレー協会はゲーリー・サトウ監督の交代を発表した。
就任からわずか1年での交代は実質解任ともいえる。
14大会連続出場中だった世界選手権への出場を逃したことが、
理由だったとされているが、果たしてそれでいいのだろうか。
ゲーリー前監督は日系4世で、北京五輪で金メダルを獲った、
アメリカ男子代表のコーチを務めていた。
”スマートバレー” を掲げ、全日本監督に就任したものの、
言葉の壁などもあり成績は全く出せずじまいだった。
しかし、2年後のリオ五輪、さらには、
2020東京五輪に向けた長期的なプロジェクトで、
”世界基準” を求め招聘したのではなかったのか。
監督経験はほとんどなかったが、現在のグローバルスタンダードの戦術や、
トレーニング方法には長けていたはずだ。
新しく就任した南部正司監督は、パナソニック・パンサーズの監督として、
Vリーグ・天皇杯・黒鷲旗の3冠を2度達成するなど、国内での実績は十分だ。
ただ、それが代表監督としての手腕に繋がるかどうかは、
必ずしも関連するものではない。
所信表明では、”レシーブ世界一” を目指すとのこと。
しかし、バレーの世界がパワー中心になって久しいが、
体格で上回る外国人相手にいくらレシーブ力を強化しても、
防ぎきれるものではないことは、これまでの歴史が証明していることではないか。
更には男子バレーにおいては、レシーブよりも、
ブロックの方がより重要視されていることも明らかだ。
もっと期待が持てる大改革を行い、かつ、
長期的な視野を持ったプロジェクトを進めない限り、
明るい夜明けは見えてこないだろう。
何よりも方針がころころ変わっていては、選手達が可哀想だ。