24年ぶりの銅メダルを獲得した2012ロンドン五輪後、
引き続き真鍋政義監督が、指揮を執っている日本女子バレー代表。
改めて、『日本のバレー』のあるべき姿を見直し、
試合中にデータを駆使し、勝利への道を見出すその指導力への評価は高い。
女子スポーツにありがちな男性スパルタ監督が、
女子選手をひたすらしごくといった雰囲気を、
感じさせないところも、成功の一因と言えるだろう。
これまで数々の成績を残してきた日本の女子バレーだが、
女性が代表監督を務めたことは、一度もない。
80年代中国のエースとして世界に君臨し、
中国・アメリカ代表をメダルに導き、
2013年から再び中国代表監督となった、
郎平のような存在は、今後出てくるのだろうか。
一番手として名前が挙がるのは、久光製薬の中田久美監督だろう。
15歳で日本代表に選ばれ、ロス五輪で銅メダル獲得など、
輝かしい実績を残し、監督としても、
久光製薬で3冠を達成するなど、申し分ない成績を残している。
代表に比べ、今一つ認識の薄い国内リーグに、
新たな感心の目を向けさせた功労者でもある。
2016リオ五輪後、2020東京五輪を目指すチームで、
初の女性監督が誕生する可能性は、大いにあるのではないだろうか。
かつての日本リーグ全盛時代には、日立やユニチカなど、
日頃の練習から、”世界” を意識しているチームが多かった。
また、監督も常に、”世界” を意識し、情報発信していた。
昨今では珍しくなった、”世界” を意識してのチーム作りを進める、
中田監督が、代表監督として東京五輪を迎える日を、楽しみにしたい。
ブックメーカー
実は正式種目でなかった? 女子バレー!
1964東京五輪において金メダルを獲得し、
「東洋の魔女」として有名になった、日本女子バレーボールチーム。
しかし、正式な種目として認められていなかったことは、
まだあまり知られていない。
女子バレーボールが正式にオリンピック競技になったのは、
実は次のメキシコ五輪からだったのだ(男子は正式種目だった)。
当時は企業チームの日本一が、そのまま代表チームとなっており、
日紡貝塚チームが1962世界選手権で、ソ連代表を破り優勝したのを見て、
女子バレーが金メダルに最も近い位置にいた競技の一つだったことから、
参考種目として、半ば強引に認めるよう、IOCに要請した結果であった。
(この時柔道も特別種目として認めさせた)
1964東京五輪金メダルまで、
バレーボールの社会的位置は極めて低かったと言える。
せいぜい、女子工員たちが工場の昼休みに空地でする、
遊び程度にしか見られていなかった。
いくら世界選手権で優勝しても、喜んだのはバレーボール関係者だけで、
世間一般には、バレーボールのルール自体、とても普及しているとは言えなかった。
加えて高度経済成長の中、唯一おもわしくなかった、
繊維業界の産業全体のイメージアップも含め、
日紡貝塚チームは、試合をしなければならなかった。
国を背負い、産業を背負い戦うそのプレッシャーはいかばかりだったろうか。
それらを乗り越え、金メダルを獲得したことにより、
ママさんバレーの普及など、多くの取り組みが始まり人気競技となった。
今日では、W杯やグラチャンバレーなど、
日本で開催され、TV中継されることが当たり前となった女子バレー。
来たる2020東京五輪では、昔とは違うプレッシャーが選手を襲うだろうが、
それを乗り越え頂点を目指してもらいたい。
バレーボール、ルール改正は日本に有利か?
五輪ごとに細かいルール改正が行われていると言われるバレーボール。
1999年以降をみれば、3つの大きなルール改正があった。
・「サーブにおけるネットインの許容」
・「ラリーポイント25点制の導入」
・「リベロの導入」がそれである。
1つ目の、「サーブにおけるネットインの許容」は、
比較的新しい変更だ。
昔は相手のミスを待って、サーブ権を奪うことに
集中するといった戦法が多く、日本もその中で勝利を拾っていた。
しかし、現在では思い切りサーブを打てることで、
よりダイナミックな攻撃ができるようになっている。
2つ目の、「ラリーポイント25点制の導入」は、
一部ではテレビ放送の都合による、試合時間の短縮が目的と、
揶揄された。
確かに、サッカーやバスケットボールは、
通常2時間以内に試合が終了する。
これに対して、野球やバレーボールは、
3時間を超える試合も珍しくなかった。
時間制競技に合わせたこのルール改正は、
粘り強く相手のミスを待つ守りのバレーが信条だった日本にとって、
非常に不利なルール変更だったと言える。
3つ目の、「リベロの導入」は、年々大型化が進むバレー界の中で、
背の低い選手にも出場の機会を増やす目的と、レシーブ力が向上することで、
ラリーが増えるのでは!?という2つの目的があった。
競技人口の拡大を考えると、いい方法だと思うが、
もともと体格では劣る日本人選手にとっては、
それほどプラスになる変更だったとは思えない。
今後も、「サーブレシーブでのドリブル反則」や、
「メンバーチェンジなしでのリベロの交替」などの変更が行われる予定だ。
エンターテインメント性を高めていきたい考えは素晴らしいと思うが、
選手達が少しでもプレーの質を高められるよう、配慮して欲しいものだ。
ペルーの女子バレーを育てた日本人!
ペルーの女子バレーボールの大恩人として、
今でもペルー国民から親しまれている日本人がいる。
その名は加藤明。
往年の名選手で、指導者としても実績を残した後、
請われて1965年に、ペルーの女子代表監督に就任した。
無名であったペルー代表チームを強豪に育て上げ、
バレーボールの文化をペルーに根付かせた最大の功労者である。
加藤が就任した当時のペルー代表は、
白人のお嬢様が趣味程度に練習を行っている状況だった。
加藤はそれらの選手を辞めさせ、
残った先住民系の選手を中心に猛練習を行った。
当然反発も少なくはなかったが、
加藤は戦争で焦土と化した日本が夢と希望を失わずに、
今日の隆盛を勝ち得たのは日本人の努力と礼節の賜物であると教え、
生活面や精神面の改善とともに、選手たちと食事をし、
坂本九の「上を向いて歩こう」をギターを弾きながら一緒に歌うなどして、
選手の心を次第に掴んでいった。
選手たちは実力をつけていき、1967世界選手権では全敗に終わったが、
その翌年の1968メキシコ五輪では4位入選を果たし、
世界を驚かせるなど南米一の実力国となっていったが、
加藤の目標である「世界最強の日本に勝つこと」はできなかった。
1982年、加藤が病気で亡くなった時、
首都のリマでは弔意を表す車のクラクションが鳴り続け、
新聞の一面には「ペルーが泣いている」と報じられた。
そして同年、ペルーで初めて行われた、
女子バレーボール世界選手権でドラマが待っていた。
ペルー代表が加藤の母国・日本代表を初めて破り、
史上最高の準優勝を獲得したのだ。
それは日本人である加藤明が、ペルー人となって、
17年かけて蒔いた(まいた)種が花を咲かせた瞬間であった。
ビーチバレーでプロ化は進むか?
70年代までは「アマチュアの祭典」という認識が強かった五輪。
基本的にはスポーツでお金を稼ぐ「プロ」は排除されていたわけだが、
一方で、旧社会主義国を中心に、国から生活を保障されていた、
いわゆる「ステート・アマ」の存在があったため、不公平さが問題になった。
加えて、1984ロス五輪から、商業化されたイベントとしての、
成功を勝ち取ったことにより、一気に各競技でプロ化が進むことになった。
当初は神聖なスポーツの世界が金によって汚されたといった批判もあったが、
名誉に加えて生活の保障が成り立つことは、大きいことへの社会的な理解が進み、
今日に至っている。
ビーチバレーの世界でも、個人的に企業と契約を結ぶ何人かのプロ選手がいるが、
それだけで暮らしていける選手はほとんどいない。
したがって職業を持ちながらプレーすると同時に、
スポンサーを探し契約料を生活費に充てているわけだが、
それでも収入はプロとアマの間に格差はほとんど存在しない。
本当に世界の強豪国の仲間入りをするためには、
改善していかなければならない部分だ。
どの競技でも完全にプロとして生活の保障があるのは、
ほんの一握りの選手だけである。
少子化が進み運動能力の高い子供を各競技で取り合っている現状では、
なかなか難しいことかもしれないが、室内バレー・ビーチバレー両方に、
幼い頃から取り組むことができ、なおかつ、
本人の意思で他の競技にも参加できる体制作りを進めていかないと、
日本のスポーツ界の未来は暗いと言わざるを得ない。
そして、人気・実力ともに備わったスターの存在があってこそ、
その競技は光り輝くことができる。
2020五輪に向けて、ビーチバレーの世界でスターが生まれ、
活性化することを期待したい。
バレー強豪国ブラジルから学ぶべきもの!
現在、サッカーW杯が行われている南米の国ブラジル。
かつて南米のバレー強豪国といえば、
ペルーのイメージが強かったが、1990年代に入ってからは、
男女ともにメダル常連国となっている。
なぜブラジルはバレー強豪国になったのか。
意外と知られていないことだが、
現在のブラジルバレーの基礎は、
かつての日本バレーから来たものなのだ。
女子のギマラエス監督は、
かつて日本に滞在しバレーの研修に励んだ。
1976年のことだから、日本がモントリオール五輪で、
1セットも失わない完全優勝を成し遂げた時で、
まさに絶頂期にあった頃だ。
また、男子のレゼンデ監督はミュンヘン五輪金メダリストの、
名セッター猫田勝敏氏から影響を受けたという。
よく日本では、バレーボールに限らず、
世界大会で敗退すると「フィジカルの差」を口にすることが多い。
何十年も結構同じことを言っているが、
では、それを改善しようという取り組みは、
どれほど行われてきたのだろう。
そもそも、フィジカルの差が本当に敗退の原因なのか、
きちんと検証された様子もないのが、ほとんどの場合である。
ブラジル代表は、男女とも世界に比べて、
それほど身長が高いわけではない。
しかし、その差を意識したトレーニングを積むことによって、
トータルにフィジカルを上げる努力をしている。
また、日本と違い、ポジションを若い内から固定しないなど、
様々な工夫をしている。
日本も試合でのデータを駆使するなどの部分は成功を収め、
久しぶりにメダルを手にすることができた。
しかし、選手育成の部分では、
まだまだ世界から遅れているのではないだろうか。
どんなものでも原因があって結果がある。
サッカーだけではなく、バレーボールもブラジルから学ぶことは多い。
バレーボールを描いた映画やテレビドラマ!
映画やドラマのジャンルの中で、いまだに根強い人気を誇るスポーツもの。
野球やアメフトを題材にした作品が多いが、
バレーボールを題材にした作品はそれほど多くはない。
かつてはアニメの「アタックNo.1」やドラマの「サインはV」といった、
いわゆる「スポ根」ものが人気を博し、それを見て、
バレーボールを始める子ども達も多かった。
いずれも70年代の作品であるため、
時代の流れと共に風化していったものだが、
スポーツの世界に、根性論よりも科学的な思考が、
大切にされるようになった帰結ともいえる。
2013年秋に80年代初頭に放送されたテレビドラマ、
「燃えろ!アタック」がDVD化された。
現在国会議員で当時アイドルだった、
三原順子などが出ているドラマなのだが、
確かに当時視聴率はそこそこ高くヒットしたものの、
DVD化が待望されたというほどのものではない。
こういった作品もDVD化されるところに、
2012ロンドン五輪で銅メダルを獲得した余波があるのではないだろうか。
それだけ五輪でのメダル獲得というのは、
大きな意義と効果があるものなのだ。
映画では「おっぱいバレー」や、
「アタック・ナンバーハーフ」といった作品が、この10年の間に作られている。
前者は、顧問のおっぱいが見たいから、
バレーに真剣に取り組むようになった中学生の物語だし、
後者はオナベの監督とオカマのバレーボール選手達が、
国体優勝を目指すという実話を基にしたコメディだ。
いずれもかつてのような「スポ根」丸出しの作品ではない。
2020東京五輪に向けて、数々のスポーツ映画・テレビドラマが、
制作されるだろうが、王道と変化球をうまくミックスし、
スポーツの素晴らしさが伝わってくる作品が見られることを期待する。
9人制から代表選手は今後増えるか?
今年の女子バレーボール日本代表選手登録の中に、
9人制バレーボールチームの選手がいることが話題になっている。
これまでの傾向からすると、異例の抜擢といえるものだが、
選ばれた宮本選手は、高校時代名門の、大阪国際滝井でプレーしていた選手だ。
卒業後は9人制のチームに所属し、プレーを続けていたがこういう選手は、
まだまだ存在しているのではないだろうか。
9人制バレーの特徴の1つとして、
サーブが失敗しても、やり直せることが挙げられる。
その為、相手は失敗を恐れず強烈にサーブを打ってくる。
守備力が鍛えられたことが、彼女の代表選出に繋がった。
代表における彼女のポジションはリベロで、
守備力が求められるポジションだ。
競争は激しいだろうが今後9人制の選手にも、
日本代表でプレーできる環境を作り出すためにも、
頑張ってもらいたいものだ。
また、9人制バレーにも注目した真鍋監督の着眼点に敬意を表したい。
それでは彼女に続く代表候補選手は今後出てくるのだろうか。
宮本選手のポジションはリベロだが、
実は9人制では、リベロというポジションは採用していない。
6人制の様にローテーションもなく、ポジションは任意となっている。
また、ネットの高さは6人制より10cm程低い。
このことから、宮本選手の様に守備力を評価されて代表登録される選手は、
今後も現れるかもしれないが、攻撃の選手で選出されることは、
なかなか難しいかもしれない。
しかし、新たな人材発掘を今後も続け、
いつの日か、9人制から世界に通じるアタッカーが生まれることを期待したい。
ビーチバレーは五輪でメダルを獲れるのか?
砂浜にネットを張ったコートで、
2人1組のチーム同士で対戦する競技ビーチバレー。
アメリカ発祥のこのスポーツが生まれたのは、1920年代と歴史は古く、
1996年のアトランタ五輪から正式競技となっている。
室内のバレーボールから転向する選手が多いことは、
日本・外国ともに共通している。
女子は、アトランタ五輪から連続出場を果たしており、
アトランタでは、高橋有紀子・藤田幸子組が5位、
2000年のシドニー五輪では、高橋有紀子・佐伯美香組が4位に入賞し、
メダルまであと一歩と迫っている。
いずれも室内バレー出身で、全日本の選手として五輪出場を果たすなど、
室内バレー時代から名をはせていた人達ばかりである。
これらの大会での活躍と合わせ、モデルなどの活動を通じ、
これまでビーチバレーに関心が低かった人達の注目を集めた、
浅尾美和の存在が、日本での競技の周知に、大きな役割を果たして来た。
しかし、浅尾の成績が伸びなかったことと引退によって、
現在は少し低迷している。
世界の流れは室内とビーチの相互交流によって、
どの国も強化を果たし、メダル獲得につなげているのが現実だ。
しかし、日本では戦力低下を嫌う室内側が難色を示し、
これまでと同様に、室内バレーの代表を外れた選手しか、
ビーチバレーに参戦できていない。
これではますます世界との差は広がるばかりだ。
2020東京五輪に向けては、これまでのいきさつを乗り越え、
最高レベルの代表選手を揃えることで、メダルに挑戦してもらいたい。
春高バレーの時期変更はよかったのか?
毎年3月末に行われていた、バレーボールの甲子園とも呼ばれる、
『春高バレー』 が、1月に開催時期を変更してから数年が経つ。
かつては1・2年生しか参加できなかったが、
1月に変更したことによって、3年生が最後の大会として、
参加できるようになった。
高校バレーにとって、最大の大会に参加できる機会が増えたのは、
選手にとってメリットもあるだろうが、デメリットもある。
ほとんどの高校スポーツの場合、
3年生は夏休みを前にした大会で、自分の競技を終了する。
それまでスポーツ漬けになっていた生活が、がらりと変わることで、
リズムを崩し、生活を乱す選手も少なくない。
インターハイや国体に出場するような有望な選手でも、
大学や社会人の練習に参加するまで、ブランクが相当できてしまう。
これを解消するために導入されたのが、1月開催だったのだ。
確かに競技力の向上にはつながるかもしれないが、
すべての選手が高校卒業後もバレーを続けるわけではなく、
大学受験の時期と重なることは、
夏の段階で引退するかどうかの選択など、
結果として選手の負担を増やしている。
推薦などで進路が決まっている選手はいいが、
そういう選手は、有望私立校に集まっているのが現状だ。
他の高校スポーツに比べれば、公立校が活躍する機会も多かった、
高校バレーが、時期変更によって格差が広がらないことを願う。