ペルーの女子バレーボールの大恩人として、
今でもペルー国民から親しまれている日本人がいる。
その名は加藤明。
往年の名選手で、指導者としても実績を残した後、
請われて1965年に、ペルーの女子代表監督に就任した。
無名であったペルー代表チームを強豪に育て上げ、
バレーボールの文化をペルーに根付かせた最大の功労者である。
加藤が就任した当時のペルー代表は、
白人のお嬢様が趣味程度に練習を行っている状況だった。
加藤はそれらの選手を辞めさせ、
残った先住民系の選手を中心に猛練習を行った。
当然反発も少なくはなかったが、
加藤は戦争で焦土と化した日本が夢と希望を失わずに、
今日の隆盛を勝ち得たのは日本人の努力と礼節の賜物であると教え、
生活面や精神面の改善とともに、選手たちと食事をし、
坂本九の「上を向いて歩こう」をギターを弾きながら一緒に歌うなどして、
選手の心を次第に掴んでいった。
選手たちは実力をつけていき、1967世界選手権では全敗に終わったが、
その翌年の1968メキシコ五輪では4位入選を果たし、
世界を驚かせるなど南米一の実力国となっていったが、
加藤の目標である「世界最強の日本に勝つこと」はできなかった。
1982年、加藤が病気で亡くなった時、
首都のリマでは弔意を表す車のクラクションが鳴り続け、
新聞の一面には「ペルーが泣いている」と報じられた。
そして同年、ペルーで初めて行われた、
女子バレーボール世界選手権でドラマが待っていた。
ペルー代表が加藤の母国・日本代表を初めて破り、
史上最高の準優勝を獲得したのだ。
それは日本人である加藤明が、ペルー人となって、
17年かけて蒔いた(まいた)種が花を咲かせた瞬間であった。